カメラの記憶


 
幼い頃の記憶の中に、いくつかのカメラがある。
自宅の洋服ダンスの奥で、大切に保管されていた一眼レフカメラ、
あれはどこのメーカーの、何というカメラだったのだろう。

皮のハードケースに包まれていて、何本かの交換レンズが一緒にあった。
僕は、父がこのカメラで何かを撮っている姿を覚えていないのだけれど、
我が家のアルバムには、確かに幼い頃の僕や弟が色褪せたカラー写真で残されているから、
それらの写真は、きっとあのカメラで撮影されたものなのだろう。

***

旅好きな祖母は、いつでも手軽なコンパクトカメラを持ち歩いていた。
「1本のフィルムで、2倍撮れるからね」
そう言って、祖母はオリンパス・ペンというハーフサイズカメラを愛用していた。
小さな僕も、そんな祖母のカメラを借りては、旅先などでインスタントのカメラマンを務めたものである
「カメラがほしい」とねだって、祖母からもらったいくつかのハーフサイズカメラたち、
あれはどこへ行ってしまったのだろうか。

***

若くして死んだ祖父の遺したスーツケースの中から出てきた、古いスプリングカメラ。
久しぶりの法事の終わった夜に、親戚一同が集まって、スーツケースを囲んでガヤガヤと話し合った。
結局、誰も使い方が分からないままに、なぜか幼い僕だけがその古いカメラを欲しがって、
カメラはそのまま我が家にやってきた。

知り合いのカメラ屋に持って行くと、カメラにはまだフィルムが入ったままだった。
数十年ぶりに現像されたフィルムから出てきたのは、ぼんやりとテレビを眺めている、
まだまだ若い頃の祖母の姿。
なにげない日常生活のスナップ写真を撮るのが、祖父は大好きだったらしい。
カメラの中でだけ、時が止まっていた。
  

 

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