レゲエソング


 
彼女は、僕が初めて就職した会社の先輩だった。
どこから見ても、僕がこれまでに過ごしてきた世界とは
別の世界からやって来たのだろうというオーラを、全身から漂わせていた。
いつでもレゲエソングを口ずさみながら、踊るように街を歩き、上司にも顧客にも愛情を込めたタメ口を聞いた。
まともに高校も卒業せずに、夜遊びばかりとしていたからねと笑った。

「あんたってさあ」というのが、彼女の口癖だった。
「あんたってさあ、本当に子どもみたいだよね」
夜の街の姐さんみたいな口調で、彼女はいつでもそんな年上ぶったことを言った。
僕の知らない様々な人生経験を積んだ彼女にとって、
社会人になったばかりの僕は随分頼りなく、少年のように見えていたのかもしれない。

ひどく個性的な彼女だったが、医学部に通う自慢の彼氏がいて、酔えばいつでも彼氏自慢になった。
男遊びが激しい割には、彼氏自慢の好きな女性だった。
自分にないものが彼氏にあるということを彼女はきちんと理解していたし、
そして、そのことをとても誇りに感じているようだった。

もとより酔っ払いの話なんか聞いちゃいない僕らは、いつでもそんな彼女の話を聞き流した。
もっとも、彼女が彼氏と別れたその夜だけは、僕らも彼女の話をきちんと聞かないわけにはいかなかった。
泣きながら泥酔した彼女は、文字どおり酔い潰れるまで酒を飲み続けた。
意識のない彼女を抱きかかえて店の外へ出たとき、既に新しい朝の光が街を覆っていた。

彼氏と別れた後、彼女と僕は以前よりもずっと親密な間柄となった。
相変わらず、彼女は「あんたってさあ」と切り出しては、
僕の生活態度や性格などについて説教じみた話をクドクドとしていたけれど、
暮らしの中から失われた何かを僕の中に求めようとしていることも、また確かであるように見えた。
もっとも、僕と彼女が必要以上の関係になることはないだろうということも、僕には分かっていた。
彼女は自由な猫みたいな女性だったし、それはとても僕の手に負えるような動物ではなかったから。

ある休日の朝早く、彼女が突然僕のアパートの部屋を訪れた。
割と近所に引っ越してきたらしいという話は聞いていたけれど、
まさか、彼女が僕の部屋までやってくるなんて思いもしなかった。
そのとき、僕の部屋には別の女の子がいて、僕たちはまさしく、今、目覚めたばかりだったのだ。
ドアを開けた彼女の爽やかな笑顔が凍り付いたと思った瞬間、「ごめん」と言って、彼女は立ち去った。
雨に濡れた砂みたいにざらついた空気だけが残されていた。

それから間もなく、僕は会社を辞めた。
「あんたってさあ、なに考えてるわけ?」
いつものようにレゲエソングを口ずさみながら、彼女はそんなことを言ったけれど、
僕はただ笑って、彼女に最後の挨拶をした。

数年経って、一度だけ彼女からメールが来たことがある。
偶然に街で僕を見かけたのだという。
「あんたってさあ」と、彼女は書いていた。
「いつまでも子どもみたいに、若くなくちゃだめだよ」
それきり、彼女からの連絡はなかった。
 

       

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